もし、飛び立つ瞬間の鳥を撮影した一枚の写真があるとしたら。それを見て涙する者の感情を揺さぶったものは何なのだろう。

 きっと答えは出ない。『リズと青い鳥』は、まさに鎧塚みぞれと傘木希美という鳥の一瞬をバインダーに収めた――誤解を恐れずに言うのであれば、ただそれだけの作品なのだと思う。



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公開中の映画『ドラえもん のび太の南極カチコチ大冒険』を観に行きました。
 
僕はドラえもんが好きですが、ある時期以降のドラえもん映画はあまり好きではなく、「新ドラ」等と呼ばれる時期におけるオリジナル作品も駄作揃いだと思っていた人間です。しかし、公開前から評判になったポスターのセンスに期待値が高くなり、ひみつ道具博物館以来のオリジナル良作が生まれるかもしれないという淡い希望をいだいてしまったのです。とはいえ、きっと魅力的なポスターは誇大広告もいいところで、期待させるだけさせておいてがっかりさせるいつものアレだろう、とタカをくくってもいました。そんな肩透かしは太陽王伝説で経験済みだぜ、と駄作であることを甘んじて受け入れる覚悟で映画館へと足を運んだのであります。(※太陽王伝説は「新ドラ」ではありません)
 
結論から言えば、南極カチコチ大冒険は新ドラのオリジナル映画では最高と言ってもいい作品でした。リメイクを含めても、評価の高い鉄人兵団と遜色ないものと言えると思います。素晴らしい。やれば出来るじゃん新ドラ。むしろなんで今までこれをやらなかったんだ。ふざけんなコンチクショウ。そんな感情がふつふつと湧いてきます。


 
何が良かったのか。まず夢がある。わくわくする。自分ものび太たちと一緒にこんな冒険したい。あるいは、このひみつ道具で一緒に遊びたい。そう素直に感じることが出来たのが大きい。

そして、非常にバカバカしい。特にドラえもんが程よく優秀で、程よくポンコツだ。このあまりに人間味あふれるロボットは、小学生がおよそ理解できないうんちくを無駄に垂れるほどには優秀で、問題解決のための選択が明らかにおかしい程度にはポンコツでなくちゃいけない。そのバランスがのび太達の冒険を魅力的にするのだから。

とにかく本作は力を入れるところと抜くところのバランスがとても良い。その匙加減が、僕の「ドラえもん観」に上手くマッチした。一言で表現するならそんな作品です。そういう意味では、この映画のドラえもんが合わないという人もいるかもしれません。



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  今からもう何年前かわからないのですが、僕は自分の人生の中でそれなりに大きな影響を受けた人物と出会いました。確か、哲学の面白さに触れ、大学院に進学した年のことです。

 その人は夜間の学部生で、僕が進学した研究室のゼミ生でした。あまりゼミには顔を出さない人で、当時の印象はほとんど覚えていないのですが、その人が書いた卒業論文は僕が今まで読んできた哲学書の類に劣らぬほど興味深いものだったのです。 その卒業論文は、その人が性同一性障害という立場から自由に性を活用できる可能性を説いたものでした。

 彼(彼女?よくわかんないから面倒なのでitとかdasとかでいい気がする)の卒業論文の素晴らしいところは、性差別の問題、抑圧の問題を完全に乗り越えた視点から性の可能性を考えていた点でした。乱暴な言い方をすれば、性的マイノリティは性別二元性(男と女の区別)の枠からハミ出しているので、その枠に囚われている一般人よりも自由に性を活用できる、という考えが根幹になっています。

 こうした考えは、下手をすると性差別を助長するものとして捉えられます。なぜなら、私たちの社会に旧態依然として根付いている性の捉え方を変えようとするのではなく、逆にそれを利用できる可能性に注目する考え方だからです。これはなかなかにデリケートな問題で、最近国会で起きたセクハラ戦略に対する反発なんかを思いだしていただければ、こうした考えがいかに一部(多く?)の人たちを刺激するか想像がつくかと思います。彼はたびたび同じ領域を研究している人に叩かれ(いじめられ?)、辟易していました。

 彼は自分のことをオカマと言うのですが、女→男のタイプなので、かなり語弊がある言い方です。しかも急に「なんで僕は女なのに重いものを持ってるんですかー」と文句言ったり、「もうオッサンですからねー」とか嘆いたりむちゃくちゃで自由です。僕は大きな感銘を受け、定期的にその人と議論を交わすようになりました。

 ちなみに、プレイベートでの交流はほとんどありません。一度、野球観戦を誘ったら「えーいやです」「そーですよねー」と断られました。その時は全然関係ない後輩を誘って行きました。どうでもいい話です。



 その、彼だか彼女だかよくわかんない人が地元で就職が決まったため、関西から去ることになりました。

 多分、今後も研究会だの、共同研究だので会うのでしょうが、何となく自分の歴史の中で一つの時代の区切りになりそうな年だなぁと感慨深いものがあります。



 僕は、そのオカマの人に刺激を受けた経験を何らかしらの形にしたいと思い、2013年の大阪文学フリマで『おかまノート』という本を持って行きました。当日の朝に、誰もいない大学の研究室で手作りで製本した拙いものです。その年の暮れには印刷会社を利用して『増補版』を刷り、冬コミにも出ました。内容は過去のブログ記事を参照してください。
http://raitonshine.blog.jp/archives/1009117568.html

 この本に書かれていることは、件の卒業論文、またその後僕たち二人が色々と議論を交わしてきたことが元になっています。大きな反響があったわけではありませんが、twitterやブログなどでいただいた感想は比較的好意的なものが多く、ありがたい限りです。

 現在、性的マイノリティの地位向上という観点からは興味深い動きが多くあります。ただ、それが喜ばしいことであるのはもちろんですが、おそらく僕たちの関心はあまりそこにはなく、二人でその話をしても世間話ていどに落ち着いてしまいます。感想を頂いたりした方々に非常に申し訳ないことでもあるのですが、この本で扱った問題が僕たちにとって既にある程度は咀嚼しきってしまったものであり、この問題について、さらに続けて議論を展開することが出来ませんでした。

 また、僕の面倒くさがりな性格が問題なのですが、告知や宣伝もそれほど積極的にはしていません。これは相方さんの観点がこの研究領域で強い反発を生みかねないこともあり、できるだけ彼の存在を宣伝や告知で前面に出さないように配慮したことも影響しているかもしれませんが、これくらいの小規模な反響が僕たちの背丈にちょうどいいのかな、というのも二人の共通認識です。



 ところがまぁ、現在それなりに部数がはけて、『おかまノート-増補版』が半端に余ってしまっています

 イベントに出て行くほどの冊数があるわけでもないですし、相方さんが地元に戻るこの機会に処理してしまおうか、という話になりまして、いくつかはお世話になった大学の先生などに配布したのですが、まだ僕の手元にも5冊ほど余っております。 

 もし、少し興味があるという方がいらっしゃれば、あまり保存に向いておらず妙に表紙がツルツルして滑りやすいものの、差し上げたいと思います



表紙

サークル:おかま研究会
      『おかまノート―増補版』
      A5 92ページ


 方法は、郵送かなと思っておりますが、素性などが知られたくないなどございましたら何かそれを防げるようなものを考えたいと思います。twitterでリプなり、DMなり、Skypeなり、コメントなり、電話なり、家に遊びに来るなり、何でもいいので一言いただければ差し上げます。





 今日はお世話になった先生たちも含めて、彼の送別会を開きました。そこで、彼の母親が成人式のために用意したけど、そのまま一回も着ることなくしまってある女物の振り袖を、現在交際中の彼女に着せてあげるのだという話をしていました。

「僕のために母親が買った振り袖があるんだけど、あんた着る?」
「うん、着る。」

というやりとりがあったそうです。

 僕には決して経験することが出来ない、とても素敵なエピソードだと思いました。

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